ブラジルにしか存在しない独自の聖母
アパレシーダとは、ポルトガル語の動詞である「aparecer=アパレセー」の過去分詞「aparecida=アパレシーダ」に由来します。聖母マリア像がブラジルのパライーバ川から「姿を現した」出来事が、形容詞的用法でノッサセニョーラアパレシーダとして定着しました。アパレシーダが褐色になった理由ですが、パライーバ川の濃い川の色説や、長年のお祈りでのロウソクの煤説など諸説あります。したがって、数あるカトリック諸国の中でもブラジルにしか存在しない“褐色の聖母”なのです。
アパレシーダの奇跡
さかのぼること、ブラジルがポルトガルから独立する以前のお話です。
パライーバ川で漁をしていた貧しい漁師たちが、魚が獲れない時期が続いて困窮していた頃、ある漁師の網にかかったのは、頭の取れた聖母マリア像でした。
もう一度投げた網にはマリア像の頭がかかり、なんとそれらがピタリとはまったのです。漁師は感動し、聖母マリア像を持ち帰って祭壇をつくり、毎日お祈りを捧げました。
その後、不思議なことに漁をするとカヌーが転覆するほどのたくさんの魚が獲れる幸運に恵まれたのです。
漁師たちの大漁の成果を見て、街の人々は聖霊の恩恵だと信じるようになりました。
1745年には礼拝所がつくられ、ブラジル初代皇帝のドン・ペドロ一世も礼拝所を訪れ、奇跡の聖母マリア像に敬意を表しました。
その後、同年にブラジルはポルトガルから独立したのです。
1834年には巡礼者の数が増え続けた為、より多くの巡礼者を収容できる教会を建設しました。
1888年には、ルビー・ダイヤモンドがあしらわれた輝く金の王冠と、深く美しい青いマントが奉献されました。この王冠と青いマントを羽織った姿が、現在のアパレシーダとして定着したのです。
また、1930年にはローマ教皇ピウス1世に、ブラジルの保護者として布告され、聖母マリア像にまつわる数々の奇跡がブラジル中に広まり、多くの巡礼者が全土から訪れるようになりました。
数々の幸運が報告されたアパレシーダ現象
アパレシーダへの巡礼者は増え続け、1955年には更に大きな大聖堂に建設が始まりました。
大聖堂には現在もブラジルはもちろん、世界各地からの巡礼者が多く訪れ、幸運と祝福の体験がたくさん報告されています。
アパレシーダに捧げる10月12日を国民の祝日として制定し、1984年には、アパレシーダの大聖堂は、ブラジルの聖地として宣言されました。
地名や人名などにも“アパレシーダ”が使われるようになり、ブラジル各地のカトリック系の教会にはアパレシーダ像も据えられ、ブラジルの守護聖母はより身近な存在となったのです。